西原士誠第一回監督作品

『シスとジェダイの戦い(2014)』(2m42sec)


*音声と共にご視聴ください。

西原士誠
2007.02.03東京生まれ

投稿者:西原真志  2015.06.21

Be a Commentator!_J-13

『日本人が頭を使わなくなった原因は、スマホも影響していると思う。四六時中みんな同じ思考回路で同じ情報を入手してる。人と違う情報を入手して違う考え方をして、常に世間を反面教師にするぐらいでないと成熟市場では事業もスキルも伸びない(平成建設/秋元久雄)』(日経ビジネスより)

 技術の進化は、たくさんの恩恵をもたらしてくれる。でも、ITの進化は進化ではなく、人間を退化させていると思えてならない。洗濯機や冷蔵庫は有難い部類に入るが、携帯電話、インターネット、飛行機は便利そうで実は真逆だ。なぜならそれらは、人らしさを喪失させるものだから。

投稿者:西原真志  2014.05.28

Be a Commentator!_J-12

 「体罰」に関するニュースが後を絶たない。賛成派反対派さまざまだが、賛成も反対も本来はない。
 「体罰」と「セクハラ」はイコールだと思う。例えば高田純次が発した卑猥な言葉は許せても、宅八郎が発した同じセリフは許されない。この違いは、“受け取り側の受け取り方”でしかない。受け取る側が「セクハラだ」と感じたら、それは100%セクハラだ。一方でたとえ同じセリフだとしても、「セクハラじゃない」と捉えられる場合もあり、それは発した本人の人柄であり普段のキャラクターであり日常の信用関係に他ならない。
 その論理で行くと「体罰」というものが見えて来る。体罰に対して賛成・反対というのは愚かな時間の消費でしかなく、“感じる側がどうとらえているか”が問題なのである。
 体罰教師の多くや賛成派は『愛のムチ』という言葉をよく使う。しかしこれを“愛”とは感じずに“体罰”と感じるのならば、セクハラ同様、犯罪的な暴力でしかなくなる。
 ——体罰とは何か。
 それは受ける側が、“暴力としか感じない暴力行為のこと”である。体罰=暴力と捉えられる以上、そこに言い訳をすることはできない。つまり、“ハラスメント”でしかないのだ。“体罰”という言葉が教育の一環に組み込まれることは有り得ないと思うのは自分だけだろうか。

投稿者:西原真志  2013.04.17

Be a Commentator!_J-11

 週刊朝日の「ハシシタ」記事に触れておこうか。
 記事を読む前にマスコミの反応に触れていただけあって、どれだけ佐野眞一氏の記事が酷いものかと思っていた。そして読んでみた。確かに品のある記事とは言えず、橋下氏に利を与えるものにしかならなかったことに、時代の流れを感じる。
 今回の記事には、3つの悪しきポイントがある。一つが、利害関係者をムダに広げてしまっていること。もう一つが差別地域の名を出していること。そして、人間性をルーツに見いだそうと試みていること。
 この3つに関しては、何一つ共感することが無い。さらに、マスコミがよってたかって叩くような価値のある記事にすらなっていない。佐野さんはマスコミに矛を向けているが、その矛を向けているマスコミ側に回ってしまっている不思議な内容になっていることもあり、得をする人や喜ぶ人が一切いない、雑誌記事としては希有なものに仕上がっている。
 書く方も書く方だし、取り上げる方もそこまでの価値しか無い。ただ単に橋下さんはこの記事を書かれてさぞかしラッキーだったと感じるのみだ。
 価値の無いものには触れない。これからさらに、そのスタイルが重要になる。

投稿者:西原真志  2012.12.14

21st,Sep.それは狂うほどの歓喜

gaga.jpg


You are sexy.
You are cool.
You are clever.
You are dandy.
You are president.
You are cute.
You are my star.

Happy Birthday Masashi.
You are our angel.

GAGA

投稿者:西原真志  2012.09.13